ほんとうに読みたい文章を求めて

今日久々に、テナーサックスの演奏をした。

 

3年間ほど、文字通り誇張でなく、Stan Getzを聴かない日は無い時期があった。
でも、今はほぼ、Getzを聴かない。というか音楽そのものをあまり聴かない。

 

今日たまたま気まぐれに、テナーを吹いて、こうして演奏するのは、この世に、自分の聴きたい音楽が存在しないからでないか、と思った。Getzでさえ、そのような音楽でない。だから、本当に聴きたい音楽を聴くために、自ら演奏するのだ、と。聴きたい音楽の奏でられる瞬間が与えられる日は幸いである。

 

文章を書くのも、実のところ、同じ理由による。そして、そのほとんどが失敗に終わるのだが。そういう時、文は、呻きのように書かれ、紙くずを噛むように読まれる。この文がそうであるように。