ロジャーズの『クライアント中心療法』 第2章の要点と思われる箇所を読みながら。

 

クライアント中心療法 (ロジャーズ主要著作集)

クライアント中心療法 (ロジャーズ主要著作集)

  • 作者: カール・R.ロジャーズ,Carl R. Rogers,保坂亨,末武康弘,諸富祥彦
  • 出版社/メーカー: 岩崎学術出版社
  • 発売日: 2005/06/17
  • メディア: 単行本
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 ロジャーズ主要著作集2『クライアント中心療法』カール・ロジャーズ著(保坂、諸富、末武共訳)より。

 

《引用Ⅰ》
「また、本書は生命についての本とも言えるのではないかと思います。心理療法過程には生命そのものが鮮明に現れます。生命には目に見えない力が備わっており、破壊をもたらす巨大な容量もありますが、成長の機会が与えられると、成長に向かって圧倒的な推進力を発揮するのです。」(p.7)


《引用Ⅱ》
「それゆえ、クライアント中心のカウンセラーに最適と思われる態度についてのオリエンテーションについて、さらに要約された、限定された言い方で説明すると、カウンセラーは一貫して、人は潜在的に意識に現れる人生のすべての状況に建設的に対処するだけの十分な能力を持ち合わせている、という仮説に基づいて行動すると言えるのではないだろうか。つまりこれは、クライアントの意識になんらかの素材が現れるような、ある対人関係状況を生み出すことを意味する。そして、また、カウンセラーがクライアントを自分自身をコントロールする能力をもつ一人の人間として受け容れていることに他ならない。」(p.27)

 

《引用Ⅲ》
「クライアント中心のオリエンテーションに立つ心理臨床家にとって、クライアントの態度の「内側」に入る、クライアントの心の内側に立つ、という誠実な努力こそ、人間の能力を尊重し、信頼するという中核的仮説を実行することに他ならない。」(p.38)


引用Ⅱより「人は潜在的に意識に現れる人生のすべての状況に建設的に対処するだけの十分な能力を持ち合わせている」。ここで言う「十分な能力」が、引用Ⅰでは「成長に向か」う「圧倒的な推進力」の発揮、と言われているのだろう。成長に向う、圧倒的な推進力を人は(生命)はもち、人生のどのような場面でもその能力によって建設に対処して行くことができる、という仮説。このような仮説をクライアント中心のカウンセラーは、もっている。この仮説が、どのように具体化・実行されるかが、引用Ⅲの「クライアントの態度の「内側」に入る、クライアントの心の内側に立つ、という誠実な努力」という言葉で言われている。つまり、この仮説を実行するとは、クライアントの内側に入り、立つべく誠実に努力することである。そしてこれは同時に、「成長の機会」(引用Ⅰ)イコール、「クライアントの意識になんらかの素材が現れるような、ある対人関係状況」(引用Ⅱ)を生み出すことでもあるのだろう(引用文にそうと明示的に書かれているわけではないが)。カウンセラーはクライアントとの間にある対人関係状況を生み出し、この対人関係状況が、クライアントにとって、成長に向う機会として活用される、と。

 

 

「クライアントの内側に立つ」「誠実な努力」「クライアントを自分自身をコントロールする能力をもつ一人の人間として受け容れている」

という言葉からはそれぞれ、例の「必要十分条件」の論文で整理される、

「共感的理解」「一致性・誠実性」「無条件的積極的関心・受容」

というコンセプトとのつながりを思うこともできる。

 

それにしても、引用Ⅲは、すごい。「クライアントの態度の「内側」に入る、クライアントの心の内側に立つ、という誠実な努力」が即ち、「人間の能力の尊重と信頼」という仮説の実行である、と! つまり逆から言うと、人間の能力の尊重と信頼でないような、「クライアントの態度の「内側」に入る、クライアントの心の内側に立つ、という誠実な努力」は、ロジャーズの言うそれではない、ということになる。

(これは、飛躍はあるかもしれないが、後の概念を使うなら、「カウンセラーの一致・共感的理解・無条件的積極的関心とは、有機体の実現傾向への尊重と信頼そのものである(実現傾向への尊重と信頼の具体であり実行である)」という言い方ができるのではないか。そして「有機体の実現傾向」とは、引用Ⅰの言い方を借りると、生命そのものの新鮮な現れ――であるだろう。)

 

仮説とその実行というと、科学者が自己と対象を切り離し、対象の一定の条件下での振る舞いを観察することを標榜するような実験のことを、わたしはイメージしてしまうが、ここで言われている仮説とその実行は、きわめて価値的で、カウンセラーの実存的な関与(コミットメント)を要する営為であるように思える。なにせ、「生命そのもの」への信頼、というわけだから。自らの行動より生ずる結果に開かれ、理知による怜悧な分析と信念の修正に積極的である、というこの態度をも含めて。