私を通して「いのち」は何を実現したいのだろう

「何のために生きるのか?」
この問いをどれほど切実に問うたことがあっただろうか。
「いったい自分に何の価値があるのか?」
このように、自身のみじめさに嘆いたことは幾度でもあることではあるが…

 

「何のために生きる?」
この問いよりもむしろ、次のような問いが、しばしば親しく感じられ、ある種の信頼をも与えてくれる。すなわち、

 

「この私を通して、『いのち』は一体何を実現しようとしているのだろう?」「『いのち』は、私を通して何をしようとしているのか?」

 

それを私は知らない。が、幽かな声に耳を傾けてみれば、何か聴こえてくるような、そのような気はしている。