思考について垂れ流す思考(5)

 

kyodatsu.hatenablog.com

 

「思考は、どうやって生れるのか。
答えることはできていない。
これは、どうしてじぶんの身体は(或程度思う通り)動かせるのか、という問いと同じでないか。」
と前回書いた。

つまり、身体的な活動のある部分は統制可能である。こうして指を動かし、タイプしていることはその一例。しかし、内臓の活動は、意識的に統制しているわけではない。例えば消化、心臓の鼓動。身体的な活動は意志的な統制可能な部分と、意志的な統制が不可能で自律的に(勝手に)動いて行ってしまう部分とがある。
呼吸のように中間もある。また自転車の乗り方を覚えるときのように意識的統制を繰り返すと自動的になっていく場合もある。

同様に、いわゆる心的と言われる活動領域も意志的な統制可能な場合、統制を越えて自律的場合も共にある。すなわち、思考やイメージにも統制可能なもの時もあれば、夢のように自律的なもの、と両方。

思考が、或程度思うどおりに思考できたり、出来なかったりするのは、体が思う通り動いたり動かなかったりするのと大して変りないように思える。思考が生れるのは、つまり思考が展開するのは、体が動くのと、意志的統制性とそうではない自律性とにおいてかわらない、という意味で。

思考について、これまで思考してきたが。
今は、関心が魂とか、自分の存在そのものとか、そういう所に移ってきたように思う。