思考について垂れ流す思考(1)

いま、思考している。
思考するとはどういうことだろう。と。
と問うているという、まさしく今起こっていることを、ふつう思考と言うのだから、まさしく今起こっていることを、叙述すればその答えになるのだろうと思われる。

 

思考するとはどういうことか。
「どういうことか」、と問い求める、という運動が起っている。その答えは明らかではないが、なにかに向けて動き出している。
…ここで明らかになったのは、思考とは、一種の運動であるということである。一定の内容があらわれ、新たな内容へと動いていく。ここに叙述されている文字(言葉)は、その思考のたどった跡である。思考は、すでに思考されたものを越えて動いていく。すでに思考されたものは、越えられ、去ってはいるが、それはまったく無くなってしまったのではなく、思考の前進の過程において、「踏まえられて」いく。

今起こっているのは、自らの動きを観察しつつ、それを叙述して行くことであるが、「自らの動きを観察しつつ、叙述して行く」という営みが、今、思考するという現場で起こっていることである。
そして、「『自らの動きを観察しつつ叙述して行く』という営みが、今、思考すると言う現場で起こっていることである」という叙述も、今思考という現場で起こっていることである。

…と以下無限進行可能である構造を、思考は持っている。

思考するという営みは、思考すると言う営み自体を、とらえ、それについて思考することができる。すなわち、思考では、思考そのものを思考することができる。

より正確な言い方をすれば、
思考するという営みにおいて、思考の内容が、時間的に現れる。時間的に表れた思考の内容を、踏み越えつつも保持し、さらに思考することができる。また、思考の内容それ自体だけでなく、思考と言う営み、すなわち、思考の内容が時間的に現れていると言う包括的な状態それ自体を、踏み越えつつ、それについて叙述することができる。そして、このような叙述が現象していることをまた、叙述することができ、かくそれは無限に続く。

 

「久々にものを考えることをしている気がするぞ」という叙述が、今出現した。すなわち、これはこれまでの過程について、叙述したのである。そして、「今出現した「久々にものを考えることをしている気がするぞ」という叙述が今出現した。すなわち、これはこれまでの過程について叙述したのである」という叙述は、叙述についての叙述であり、思考である。
思考において、再帰構造を見出す。「言う」ことについて、「さらに言う」ことができると言うことである。

 

さて、ここまであまり意味を明確にせず使われてきた、「思考する」「叙述する」「言う」という概念について、整理してみたい。

まず、「言う」について。
これは普通、「音声を発して言葉を出す」「言葉を音声として発する」ことを言う。が、「これは普通、「音声を発して言葉を出す」「言葉を音声として発する」ことを『言う』。」という用例からもわかるように、必ずしも、音声とせずに「言う」こともある。この時「言われて」いるのは、「何かの意味」が「意味される」ことである。

「言う」には、「言葉を音声として発する」という意味と、「意味する」という意味があることがわかる。どちらにせよ「意味を現す」ことであるが、音声にならずとも、「言う」には「発する」という主体感のような感じがある。
(さて、意味するとはどういうことか、という問いも現れるが、それはひとまず置いておく。ところで、このように「置いておく」ことができるのだから、思考は、何かへの焦点や方向付けを持っていることがわかる。)また、上で、「言う」ことについて「さらに言う」ことができると言ったとき、「言う」は、何かについて「意味を現して行く」という過程的なニュアンスも含んでいる。ここまでの文章を通して、これまでたくさん「言って」きたが、言うということは、過程的に、何かの意味を言いあらわし、発することである。そのような営みのことを、「言う」と言うのだと今言っている。

 

「叙述」も「言う」とほぼ同じ意味で上では用いていた。しかし、ニュアンスとしては、何かについて、「~である」と意味を「固定していく」感じがある。(例えば、今、「~感じがある」と意味を固定した。そこに言葉として意味をセットして行くという感じである)。意味を固定して行くというニュアンスを出したくなった時、私は叙述するという言葉を選んでいた。

 

さて、ここまでで「言う」と「叙述する」という言葉を私がつかった時、私が言いたかった意味の一部を言いあらわしてきたが、「思考」はどうだろうか。

(今、言う、叙述する、思考する、その現場においては、「叙述され、言いあらわされてはいないが、意味したい意味」が存在することが明らかになった。意味したい意味が無ければ、私はこのように、「言う」や「叙述する」という言葉についてそれが意味する内容を展開して行くこと(例えば、叙述は「固定して行く」というニュアンスがある、など)ができなかったはずであるから)

 

そろそろ疲れてきたので、このへんで。思考することは、持続したり疲れたりする。(と最後に叙述。)なんだか思考という営みの観察日記、というか実況中継、というか実況分析のようだ。

 

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