「もの」の訴え

何か、ものをつくりたいという欲求が存在する。
形になるものを、己を透過して、ならしめたい。
形なきものを、私を透過させ、形あるものたらしめたい。
そうした欲求が存在する。
形にならしめたい主題的な何か、が予めあるのでなく、ただそうした欲求が存在する。


表現の欲求、であろうか。

自己表現?

いや、それは、自己表現というより、「何か」、私の内にある、私も知らない「何か」、それが自ら発現して行くのを、顕わになり形になって例えばこうして文字として刻印されて行くのを、見届けること、である。

これをもし表現と言うのであれば、表現とは、私を「もの」(何?)が透過して「もの」になっていくことを意味する。したがって私が自身を表現するのでなく、ものが自らを表現し、せいぜい私はそれを援助する。
ものを作りたいという欲求とは、「それ」の発現の訴えである。「それ」が、自らを表現したい、そう訴えている。

 

「それ」は、形になりたかった。「それ」は、ひとつの「もの」になり、自身の姿を確かなものとして、確かめたかった。

そう、だったようである。己の力を、己の手ごたえを、得たかった。

今は、「それ」は止んでいる。自身に満足したように。