心理社会療法を学ぶ(4)

引き続き、ホリス、ウッズの『ケースワーク:心理社会療法』を。

前回は、基礎的な価値から導かれる実践的態度として、acceptanceと、respect for self-determinationがあるというところで終わっていた。

 

p.36 受け入れるacceptance という概念

「受け入れるacceptanceということばで言わんとするのは、以下のことである。すなわち、クライエントに対する温かい好意的な態度を持続させていることであり、それは、クライエントの振舞い方が、「社会的に受け入れられる」ものであろうとも、そうでなくとも、また、ワーカーの個人的なこのみにとって受け入れられるものであろうとなかろうとも、である」

ワーカーの個人的なこのみから言えば、嫌悪をもよおさざるをえない相手に、暖かい持続的好意を注ぎ続けるなど、いかにして可能なのか? 演技として行う以外に? そのような相手を受け入れるためには、ワーカー個人の人格の変容こそ求められるのではないか? (Acceptanceなど言われるが、これは「愛」ではないか?)そうなると、アクセプタンスを身につけるとは、小手先の技術を覚えることではなく、全人的な努力、人格的修練(修道)に他ならない。

 

p. 36 Empathy(共感、感情移入?)

「クライエントを受け入れることは、(略)追加的、本質的な要素ーEmpathyーを必要とする。我々はEmpathyを「他者の内的感覚と主観的状態へ入り込み、それをつかむ能力」と定義する。」

Empathyという英語が難しい。EmpathyもSympathyも共感とか同情とか同じ日本語で訳されるが、接頭辞の、Em-とSym-では意味が全然違う。前者は、「中にいれる」とか、「与える」という意味。後者は「共に」。日本語で言う、「共感」は、Sympathyの方に、対応していると考える方がより正確でないかと思う。では、Empathyには何をあてるか。「感情移入」では、ワーカーが自分の持っている感情をクライエントへ投射するという意味になってしまう。それでは、ホリス、ウッズのいう「他者の内的感覚と…」という定義とは正反対である。いい言葉は、無いのか。

 

p.37 Self-Determination

「心理社会的な観点からすれば、自己決定は根本的な原理であり、個人に属する高度に価値ある性質である。自己決定あるいは自己方向付けの権利について語る時、我々は人が自分自身の選択を行う権利について言及している」

なぜ、心理社会的観点からすれば、根本的な原理になるのか、その基盤は何なのか。

 

p.39 ケースワークの根本的な目的

「ケースワークの根本的な目的は、そしてソーシャルワーク全体の根本的な目的には、人と環境の間の不均衡から生起する問題を解決あるいは軽減することが含まれる」

「含まれる」というのも、含みのある言い方である。この文章は、ケースワークの根本的な目的そのものずばりを言っているわけではないことになるから。実際そうなのだろう。あくまでここでは、person in his situation として捉える視座が説かれてる箇所。