何故自殺で楽になるのか(3)

(これまで

なぜ自殺で楽になるのか(1) -

 

なぜ自殺で楽になるのか(2) - )

 

B「自殺すれば、死んだ後、楽になるのでなく、決意したその場で楽になることができる、という理論ですね。なるほど。別の言い方をすれば、未来の可能性の変容にともない、現在の意味が変容する。場合によってはそれによって現在の苦痛は軽減される」

A「ええ」

B「私としては、しかし…」

A「何か、引っかかるところがおありですか?」

B「ええ。闇金の取り立てを例に考えてみます。たしかに、自殺すれば、明日の取り立ては回避できる。取り立ては「無い」だろう。問題は、その「無い」なのです」

A「「無い」が問題であるとは?」

B「例えば、借金を今日中にきちんと支払ってしまえば、明日の取り立ては「無い」でしょう。自殺もせずにすむでしょう。すがすがしい朝を迎えることができるかもしれません。」

A「はい」

B「すがすがしい朝を迎え、取り立てを回避した、取り立ては「無」くなった、と言うこの時の、「無い」という意味と、自殺をして取り立てを回避する、取り立てを「無」くするというときの、「無い」の意味は異なるように感じます。
前者においては、この人は、まだ生きているのです。そして、借金の取り立てという仕方ではない、別の現実、すがすがしい朝、を経験しています。ところが、後者の場合、この人は、死んでしまったのですから(そして死ぬと言うことはじぶんがいなくなることだと、ここまで通り仮定して議論しますと)、取り立ても「無い」でしょうが、すがすがしい朝も「無い」し、すがすがしくない朝も「無い」し、一切の経験をその人はもたない。その人にとって何も「無い」し、何もないと思うことも「無い」。」

A「そうですね。したがって、「楽になる」ことも「無い」し、「苦しい」ことも「無い」。その、いかなることも「無い」ことになるのだと思うことを通して、今、苦しみから、楽になることもある、というのが私が言いたいこと…でした。」

B「私が言いたいのは、それを通して人を楽にすることもあるという、その「無い」の意味なのです。先ほど私が話した中の前者は、「取り立ては「無い」、その代わりにすがすがしい朝がある」です。他方後者は、「取り立ても「無い」、その代わりにすがすがしい朝がある、ということも「無い」」。この二者の「無い」の意味は異なります。前者は、一方は否定しますが、何かを肯定する余地を残しています。後者においては、一切が否定されます。」

A「一切の、否定。限定的、あるいは部分的ではない無。」

B「そうです。絶対的な無といってみても良いかもしれません。」

A「絶対的な無が私に到来すると考えることで、私は楽になり得る……?」

B「いいえ、絶対的な無が私に到来することも「無い」。死ねば私が絶対的にいなくなる、という命題が仮定している意味です」

A「それなのに、私は、自殺し、いなくなれば、楽になると思えるのはなぜでしょう? 絶対的な無が私に救いを与えてくれると思えるのはどうしてでしょう?」

B「あなたは、先ほど、救われるのは、自殺し、無になることによってではなく、死ぬとは、絶対的な無であると考え、自殺を今決意すれば、そのことによって今楽になり得ると説明しておられました」

A「ええ、ええ。しかしわからなくなってしまいました。絶対的な無、どうして、この観念が今の私を救済するに足る力を持っているのかが…」

 

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