「症状」や「事件」の意味

「本当は病気を治さなきゃいけないので、症状はむしろ体が病気に抵抗して示している免疫反応ですから、大事にしなければいけないのです。精神科の病気でも同じことが言えます。妄想、幻覚、興奮というような症状は、それ自身が病気ではありません。それを出すことによって、患者さんは自分のもっと奥にある本当の病気に打ち勝とうとしているのです。」『臨床哲学講義』木村敏、p.31

 

「治療者は、クライエントが語る、時には波瀾万丈とも言えるような個々の「事件」に注目するのではなく、そのような事件にまきこまれざるを得ないようなことまでして、その背後にあるたましいは、何を問いかけようとしているのか、それに耳を傾けようとするのである。」『心理療法序説』河合隼雄、p,23

 

ああ、これはすごい言葉。

 

「症状」は、病気に対する患者の努力である。

「事件」は、クライエントのたましいの投げかける問いである。

 

木村先生は、

「自分のもっと奥」

と言う。

河合先生は、

「たましい」

と言う(漢字でなくひらがなであるのが、何か味わい深いものがある)。

 

「われわれはどこから来て、どこへ行くのか…」と問う前にそもそも、その「われわれ」とは、「われ」とは、いったい何の謂いか。症状や事件の前に右往左往する前にそこに立ち止まり、自らに問いかけたい。「わたしと言っているあなたは誰ですか」。また、症状や事件を持っている相手にも問いかけたい。「あなたは誰ですか」。

 

なんだかわからないたましいが、なんだかわからないまま遍歴し歩き、そうして宇宙にいずれはあとかたもなく消えてなくなるちいさな足跡をつけていく。

 

「われわれ社会福祉士」は、「サービス利用者の自己実現をめざす専門職」なのだという(社会福祉士の倫理綱領)。自己実現self-realizationとは、たましいが宇宙に花開くことだ。朝が来たら目を覚まし、顔を洗い、嫌だなあと思いつつ仕事に行く等、この日常が本来そのことであるはずだが、いったい何が起こっていることなのか、ぼくにはさっぱり理解できない。

 

臨床哲学講義

臨床哲学講義

 

 

 

心理療法序説

心理療法序説