幻について。(2)

 現実と幻を区別するのは何か。

 

  あきらかなのは、或る人にはそれが見え、或る人にはそれが見えないという単純な事実である。魔王が見えるという人がいたとしても、大多数である周囲の人々にそれが見えなければ、その人は幻を見ている、と言われる。したがって、じぶんの見ているものが幻であるか現実であるか区別する判断の指標の一つは、じぶん以外の人間にもそれがみえるかということである。

 

 もうひとつの指標として考えられるのは、それを各時点との一貫性において、把握することができるかどうかということである。
 たとえば、夜ベッドに入り、灯りを消す。しばらくすると、海にもぐり、友人たちと一緒に泳いでいる光景をみる。気がつくと朝になっており、ベッドに横たわっているじぶん自身を発見する。このときふつうは、「海で友人と泳いでいる夢をみた」という。海で泳いでいる友人は、この海が夢だ、幻だとは言わない。したがって、夢の中の自分は他人の発言を参照して、これが夢かどうかを判断できない。そもそもこれが夢・幻かということ自体その時点では問題に思わない(ことが多い)。海で泳ぐという出来事は、夜ベッドに入ったという出来事、その後、朝日の差し込むベッドに横たわっているじぶんを発見するという出来事と、一貫していない。こう言う場合、見えたあの光景は現実ではなかった、夢だったと言われる(ここでは夢は幻の一種と考える。つまり、夢は寝ている間に見る幻である。あるいは逆に、幻とは目を覚ましながら見る夢であるとも言えるだろうか。しかし、どちらにせよ、)ある時点において見える「それ」が、他の時間における経験と整合しているかどうかということが、それが幻か現実かを判断する指標の一つになっている。A時点の自分には、海は見えない。B時点のじぶんは海が見える。C時点のじぶんには海が見えない。そのA、B、Cの経験が連続して起った時、A・B・Cに整合性があるなら、B時点で見た海は現実だし、そうでないなら、B時点で見た海は幻である。

 

(A・B・Cが整合的であると判断する、その整合性の体系とはいったい何かという問いが出てくる。じぶんが各時点で経験したことの整合性、それから最初に考察した、他者との経験の整合性。)

 

続)