なぜ自殺で楽になるのか(2)

なぜ自殺で楽になるのか(1) -のつづき)

 

A「自殺すれば楽になる、死んだほうがマシ、という考え方は、死ぬことがじぶんが存在しなくなることだとすれば、論理的に破たんしているとおっしゃる。なるほどあなたの言うことはわかりました。でも一方で、自殺が人を楽にする別の可能性があると思うのです。幸福な来世や天国の存在を信じ、それに賭けるという方法以外に……例えば、こう言う状況を考えてみてください。なんとなく調子が優れないと思って、医者にかかった。すると、信じられないことに、余命わずか1カ月だと宣告された。この人はじぶんが近い将来死ぬなんて考えていなかった訳ですが、この宣告を受けて、彼の生活は変わるでしょうか、変わらないでしょうか」

B「おそらく、変わるでしょうね」

A「わたしもそう思います。もし死ぬということがじぶんがいなくなることだとすれば、死んだとき、死んだと思うじぶんもいない、つまり、彼にとって死ぬという体験は、ない、にも関わらず。もっというと我々にとって死ぬということは、ない、にも関わらず。余命の宣告を受けて我々の生き方は変わります。たとえば、仕事一本だった人が、仕事を辞めて、家族と過ごす時間を大事にするようになる。これまで大事にしてきた財産を、惜しげなく使うようになる。あるいは、人にやるようになる」

B「それはなぜか…」

A「それはなぜか。…財産の例はわかりやすいと思います。そんなものとっておいても仕方がないからですね。1か月たてば、死んでしまうのに、蓄えておいてどうする。要は、1月後、自分は存在しなくなるわけだから、未来のじぶんに気を使って、財産を取っておいてあげる必要がなくなる、ということです」

B「ええ」

A「これと同じことが、自殺にも当てはまるのではないでしょうか」

B「と、いうのは?」

A「自殺するぞ、と決意すれば、未来に自分に降りかかり得る不利益を憂う必要が無くなるから、自殺を決意したその時から楽になることができる、ということです」

B「…例えば、明日、闇金の取り立てがあると私にはわかっている。そうだ、明日の朝一番で首をつってしまおう。…そう決意することで、闇金の怖い人に取り立てられる、という未来の可能性から逃げることができる。結果、今安心することができる、ということ?」

A「そうです。自殺をすれば、楽になるだろう、と考えて自殺したいのではないのです。自殺した結果、救われる、楽になる、と考えているのではないのです。幸福なあの世の存在に賭けて自殺するのではないのです。あるいは、死ぬとはじぶんが無になることであり、それは困難な今の生活よりは、マシなことだろう、というあなたが指摘した論理的錯誤をおかしているのでもないのです」

B「自殺の結果救われる「だろう」、と「未来」に希望して自殺するのではない。自殺する決意をすることで、未来の憂い(例えば明日の借金のとりたて)から解放されて、「今」現実に楽になるということですね」

A「そうです。今を犠牲にし、死ぬことによって、未来のじぶんを救おうとするのでなく、未来に対して死ぬことによって、今のじぶんを救おうとする、という智恵で自殺はあり得るのではないでしょうか」

B「つまり、自殺をすれば(死後)楽になる、というのではなくて、自殺を決意することで今楽になる、という言い方が正確な所でしょうか」

A「ええ。そんな所です。むろん、自殺するすべての人の心理の論理がこうであるのではないでしょうが」

 


何故自殺で楽になるのか(3) -