読書メモ『存在と時間』

「しかし実存論的分析論は、それとして見れば、究極のところ実存的すなわち存在的に根を張っています。哲学的=探求的問いそのものが、実存している現存在の存在可能性として、実存的に捉えられているときだけ、実存の実存性を開き示すことの可能性と、こうして十分に基礎づけられた存在論的問題提起一般に手をつける可能性が成立します。」ハイデガー存在と時間岩波文庫、p.37

これは、

 

じぶんがこのじぶんとして「じぶんである」ことのほんとうを明かにするためには、じぶんがじぶんとしてじぶんであることへの問いが、ほかならぬあなたじしんの身の上にかんする問いでもありうるのだというまさにそのことを、あなたがその身において素手でつかんでいるのでなければならない


ということ?

だとしたら、これは警句でもある。問いを共有しないもの立ち入るべからず。いな、立ち入っても何も見えぬだろう、得られぬであろう、か。

 

存在と時間 上 (岩波文庫 青 651-1)

存在と時間 上 (岩波文庫 青 651-1)