「おもしろいと思う本」という言い方について

本の嗜好、
つまり「おもしろいと思う本。おもしろくないと思う本。ということです。」(前回記事)

この「おもしろいと思う本」という言い方。


「おもしろいと思う本」

「おもしろい本」。

どちらを使うべきか悩むのは、二つの表現の違いは次の問いを喚起するから。

 

すなわち。

読み手が「おもしろい」と「思う」ことと関係なく、その本が「おもしろい」もの「である」ことは可能か。


①もし不可能とすれば、こういうことがいえる。
「その本はおもしろい(その本はおもしろいものとして存在している)」という言い方は正しくない。正確には、「その本は面白いと(誰かが)思うものとして存在している」が正しい。「この本は、ぼくがおもしろいと思う本だ」。

 

②もし可能ならば、こういう想定ができる。だれ一人として「おもしろい」と現に思っていないし、これまでもそしてこれからも「おもしろい」とだれからも思われた(るだろう)ことのない本なのに、実はその本は「おもしろい」ものであるということがあり得る。「ぼくも含めてみんなおもしろいと思ってないけど、この本はおもしろいよ」。


①の方がスマートなのはわかっているけど、想定としておもしろい(とぼくが思う(?))のは、圧倒的に②。