チャーリー・ブラウンのクリスマス "Christmas was here."

 

A Charlie Brown Christmas

A Charlie Brown Christmas

 

 

  冒頭はこういう風に始まる。

"Christmas was here―the time when snowflakes fell softly and the sounds of carols rang through the air.It was the time filled with happeness.And for chieldren everywhere,it was their favorite time of year."

 直訳してみると:
 クリスマスは、ここだ―雪々はやわらかに舞い降り、キャロルの音は大気に響き過ぎて行く、そんな時だった。それは、幸せにみちた時間だった。そして、どこのこどもたちにとっても、一年の内で大好きな時間だった。
(「でも、ひとりの小さな少年(=チャーリー・ブラウン)はクリスマスにあまりワクワクしていなかった」と続く)

 

   あまりいい訳じゃないけど。「クリスマスは、ここだ」っていうのがそもそも変だ。「クリスマスがやってきた」ってことかな。そしたら、次の文章は、「そんな時がやってきた」ってことになるのか。日本語としてすっきりする。

 
 …でも、"Christmas was here"を「クリスマスは、かつてここに存在した」と解釈してみると。想像が広がる。

 クリスマスはかつてこの日存在していた。
 がそれはもはや存在しない。
 こどものころ大好きだった、幸福に充たされていた、あのクリスマスは、もう存在しない。…

 

 チャーリー・ブラウンはこう言うけれど、ちっともおかしくなんかない。

"I just don't understand Christmas," "I might be getting presents,sending Christmas cards,and decorating trees,but I'm still not happy. I always end up feeling depressed."
「ぼくはクリスマスがちょっと理解できないでいるだけなんだ」
「ぼくはプレゼントをもらっているかもしれない、クリスマスカードをおくって、ツリーを飾りつけしているかもしれない、でも、まだうれしい気もちじゃない。いつも憂鬱な気持ちに終わってしまう」

 


 大人になってみて気付く。カードや贈り物が届いたとしても、もはやかつてのように心が浮き立ち、幸福に充たされていないことを。ルーシーの言うとおり、
"We all know that Christmas is a big commercial racket."「みんな知ってるでしょ、クリスマスが営利目的の一大バカさわぎだ、って」。


 クリスマスはかつて存在した。でも今は(かつてのようには)存在しない。両親の愛情・庇護のもとにある喜び・安心や、サンタクロースに馳せる無邪気な夢はとうに失ってしまっている(…いや、クリスマスがきらびやかだったのは、そんな「無邪気な夢」なんて美しいものの故ではなくて、もっと単純な物欲の故だったろうか笑 だったら少年時代を回顧してセンチメンタルになる理由もないのだけど)。

 

 ところで、この物語では、チャーリー・ブラウンは、クリスマスが何なのか分からなくなっていた所を、ライナスの朗々たる聖句の暗唱を聴いて元気を取り戻す。それはルカ福音書2章8節だった。

 

夜の傍ら、野で羊の番をしていた羊飼いに、天使は告げ知らせた。
"Fear not, for behold,I bring you tidings of great joy,which will be to all people.For onto you is born this day a savior,which is Christ the Lord.”

「おそれることはない、見よ、わたしはあなたがたに偉大なるよろこばしきしらせをもたらす。それは、すべての人に対して(与えられる)のものとなるであろう。というのも、あなたがたの上に、お生まれになったからだ、今日この日、救い主が。そしてその方こそが、主なるキリストである」

 

われらの救い主、主イエス・キリストがお生まれになったその日、それがクリスマスである。あぁそうだったのだ、 チャーリー・ブラウンは理解する。


 
 キリストの生誕を祝う厳かな夜の聖性への感覚。他の大人たちと肩を並べて讃美歌を歌うことの誇らしさ。そして福音に自分もあずかることができる(と信じることができることによる)静かな喜び。チャーリー・ブラウンが求めていた、クリスマスの何たるかに付随するよろこびの内には、こうした類も含まれていたかもしれない。

 

 が、日本人(キリスト教徒でない)はこれらを失うことはなかったはずだ。なぜならはじめから持っていなかったのだから。せいぜい回顧して嘆くことができたとしても、少年時代の夢と幸福の喪失くらいをじゃないか。クリスマスが a big commercial racketだと気付いた所で、全宇宙の意味が色あせ、実存的な大変革が迫られるわけでは無いだろう。チャーリー・ブラウンからしてみれば、それならはじめからクリスマスなんて存在しなかったと一緒だと言うかもしれない。「かつて存在した」が、失ってしまった、のではなくて。そもはじめからクリスマスは存在していなかった、と。