David Liebman『サキソフォーン上達法』

 

 

 

    David Liebmanの『サキソフォーン上達法』を読んだ。
 もっと早くこの本を知っていれば! と思ってしまった。簡単な内容紹介、とりわけ著者の考え方で興味深いと思った所を。
  

 この本は、サックスという楽器の高度なテクニックの習得を目的とするスケールやアルペジオが網羅されていたりするような教則本ではない。もっと基礎的かつ根本的なものが説かれている。スケールやアルペジオなどの基礎練習以前の基礎と言っていいか、基礎練習をするにせよその際ふまえていなければならない、もっと根本的な所。
 例えば、第一章は「演奏メカニズムについて」(息を吹き込んで楽器から音が出る際に何が起こっているかの概略)、第二章は「呼吸」、第三章は「喉頭」。


 サックス吹きの問題は、演奏者の悪い癖によるものが多い、と著者は言う。「つまり、不必要な体の緊張が積み重なって、それが習慣になってしまっているのだ」。そこで、「本書の内容は、間違った考えを正すことと、正しい自然な演奏テクニックを養うことにつきる」。「トレーニングを正しく行い、自然に無理なく上達していくならば、体が自然に芸術的な音を表現してゆくということだ」。

 

 「自然」という言葉が頻出する。また「はじめに」ではこうも言っている。

 

 「本書の基本になる考え方は、サクソフォーンの演奏においては、人体のいろいろな部分が、物理学、音響学の基本にのとって自然に機能しなければならないということである」(p.9)。そして、楽器を演奏する際に必要なすべてがスムースに機能して、リラックスしているとき、「創造的な心の動きや感情が自然に湧きおこってくるものなのだ」(p.11)。


 Liebman氏のお師匠さん(Joe Allard氏)の言葉が「はじめに」で紹介されている。「先生はよくこう言われた。「サクソフォーンを演奏するということは、呼吸するということなんだ。まったく同じだよ。」そんなに簡単なことだったのか!」。

 


 「そんな簡単なこと」とはどういうことだろうか。

 やはりキーワードは「自然」だろう。が、楽器を演奏するのが息をするのと同じで、自然なことなのだとしたら、何もこうして本を読んで練習なんかする必要なんか無いんじゃないだろうかとも言いうる。

 しかし、もちろんそんなわけはない。楽器演奏の技術を身につけるとは、身体を新しく拡張するようなものなのだから、やはりそれにふさわしい所作を獲得する必要がある(アンブシュアや舌の位置など)。

 著者が言いたいのは、演奏するにふさわしい「自然」があるのであり、それを習得せよということだろう。逆にいえば、身の処し方を意識的・作為的に一定の仕方に調整するということは、常に、不自然な仕方を習慣化してしまう可能性も同時にはらんでいるということでもある。
 
 ところで、なぜ「自然」を推奨されるのか。
 たぶん、理由の一つは、不自然はいわばエネルギーの浪費だからかもしれない。自然を操作・支配することを目的とした科学技術であったとしても、じつは、自然の性質をよく理解し、そのふるまいに即した上でないと成功しない。濡れた木材にマッチで火をつけようとしても仕方がない。「正しい」、自然に即したやり方は、まずは木材を乾かすこと。
 
 誤った習慣を取り除き、自然を学ぶとは、別の言い方をすれば、自然に対して誤った認識のもとに作為しようとする自分を無化せねばならないということである。息をするように自然に、というのは何も意識する必要は無いということではなくて、不自然な作為に陥りがちな自分自身を変える努力が必要だ、ということだろう。

 
 ところで、「はじめに」の最後にはつぎのように言われている。

 

「本書で私が最も述べたかったことは、サクソフォーンを演奏するプロセスがいかに論理的であるか、ということである」(p.11) 
 

  これまで「自然」と言っていたのに「論理」と来るが、これはたぶん矛盾するものではない。「おのず(自)からそうである(然)」には、「ことわり(理)」があるのだ、と理解すればよい。自然には論理が内在する。そしてその理を体得することはすなわち自然に即することであり、それが芸術活動には必要なのだ、と解釈してみるとおもしろい。

 序文で「トレーニングを正しく行い、自然に無理なく上達していくならば、体が自然に芸術的な音を表現してゆくということだ」と言われていた。芸術と言う営みが、普通のたんなる「人間」の領域を超えて、宇宙論めいたような連関を感じせしめる所である。体の自然を学ぶとは、自分を学ぶことなのだが、それは「私」の自然でありながら、「私」個人の恣意ではない。個人的恣意ではどうしようもない。もし芸術が、自己表現であると言うとするなら、その「自己」とは何かが問われねばならない。
 
 「体が自然に芸術的な音を表現して行く」か…。これが出来る人のことを、しかしふつうは「天才」というんじゃないだろうか。
 「あとがき」の言葉も深い。