光陰矢のごとし(1)

 今年も残り少ない。

 

 年をとるほどに時間が経つのがはやくなる、とか普通言う。これ、どういう意味か。

 


TEMPUS FUGIT=Time Flies
光陰矢のごとし

 


 「矢が進むのが早い」の意味なら、よくわかっていると思う。義務教育で教わった。

 

 速さ=距離/時間

 

「はやい」という言葉の意味する所の典型は空間移動であるらしい。「(何かと比較して)この矢は早い」とは「この矢」が一定の時間間隔において、他の何かよりたくさん進むことができるという意味だろう。xyグラフを書くなら、横軸に時間、縦軸に距離をとって、傾き(変化の割合)が速さということになる(中学数学の理解と記憶が正しければ)。

 

 が、時間が過ぎるというとき、「時間」というあるものがあって、それが空間内を移動することを意味していない。時計という装置は、時間の「長さ」をはかる道具だが、これは「時間」の一側面を空間的に表現するための一種のメタファーだろう。光陰矢の「ごとし」。


 年をとると時間がたつのが早くなる、というとき言いたいのは、時計の針のすすむ速さがはやくなったことではない。時計の針が早くすすむよう改造した所で、時間の進む速さが変わったとはいわない。


 上で、はやい、という言い方をするときの時の典型は空間移動といったけれども、それ以外にも「はやい」は使う。例えば、火が小さいより大きい方が、お湯が沸くのは「はやい」。歯磨き粉が無くなるのが「はやい」。この苗は花をつけるのが早い。

 

 が、どの例も、「空間移動的」に表現できる。xy座標の上にグラフを書けばいい。横軸に時間の軸と、縦軸に温度の軸。時間の軸と、歯磨き粉残量の軸。これはちょっと異色だけども、時間の軸と、苗が「つぼみをつける」「花が咲く」などの項目を並べた軸。で、中学数学の知識を動員すると、一定の時間区間である温度(・残量)からある温度(・残量)へどれくらい「移動」したか(つまり直線の「傾き」)を調べれば「はやさ」が視覚的に(静止的に)わかったことになる。

 


 

 じゃあ同じように、「時間の進む速さ」も空間移動的に表現できるだろうか。もしできるとしたらどうなるか。

たぶんこんなことが考えられる。

 

 

1)時間の速さをグラフに描くためには、横軸に時間軸を取らなければならない。つまり(もう片方の軸には何が来るかはおいておくとしても)時間の速さを測定するためには、そもそも時間という概念を使わなければならない。だから、あるものの変化の様子を調べるために、変化しつつあるあるもの自身をつかなわければならないことになる。

 

2)時間が過ぎるのが早い、遅い、というとき、時間の長さが短くなること、長くなること、を意味している。が、グラフにおいて考えられている時間軸は、どこも均質であるはずではないか。同じ一秒でも、それが長いときも、短いときもある、と。つまり、時間軸上のどこの1秒という長さをとっても、別の1秒という長さと同じである、今日という一日の長さと、明日という一日の長さは同じである、という前提に則って、はじめておのおのの時間内に起きた出来事の量を、正当に比較することができるはずでないのか。毎回使うたびごとに目盛りの感覚が違う定規なんて安心して使えない。
 そういうわけで、横軸にとる時間軸は、同じ時間の長さなら、同じ長さを意味しているのでなければならない。

 いや、だったら、ということで、違う時間軸の取り方を考えられるのでないか。

 例えば、20歳までの間の、1年という時間の長さは、20歳以降の1年という時間の長さの二倍である、というような時間軸の書き方をすると、20歳までの横軸の区画の長さは、20歳から60歳までの横軸の区画の長さに等しいと言う図になる。
こういう風な変更を加える必要がある。
 このとき、われわれは0歳から20歳までの時間間隔と20歳から60歳までの時間間隔が等しいことを理解できる、時間感覚を持っていることになる。その時間感覚が横軸として表現されているのだから、その時間感覚によって感じられている時間の運行は一定均質である。

 

 


2)に基づけば、じつは1)のような矛盾は生じていない、と考えられる。なぜなら、直線の傾きとして表現されている「時間の早さ」といときのその「時間」と、横軸にとられている「時間」は実は異なるものを意味していると考えられるから。前者で言われている「時間」は時計や日付が表示している量(しるし?)、と解釈してみてはどうか。つまり、縦軸に、「時計・日付」表示をとるものと考えてみてはどうか? (温度や歯磨き粉の残量や植物の生長の状態をとったように)


とすれば、さっき「時計という装置は、時間の「長さ」をはかる道具だが、これは「時間」の一側面を空間的に表現するための一種のメタファーだろう」とか「年をとると時間がたつのが早くなる、というとき言いたいのは、時計の針のすすむ速さがはやくなったことではない」とか言ってしまったことについて考え直さないといけないのでないか。

 

 


頭が疲れたからこれくらいでまた今度。