万古不易の真理

  もしこの世に「万古不易の真理」なるものがあったとする。

 

  つまり、大昔からずっとそうだったし、これからも未来永劫そうであることが変わらない、ホントのコト。そんなものホントにあるのか。


 でも、そんなものが「もし」あるとするなら、それは「現に今も」そうであるはずだ、という風には考えていける。たとえば、「1たす1が2」というのが、万古不易の真理であると仮にしたら、「1たす1は2」はこれまでもずっと「1たす1は2」であったし、これからもそうだろうし、現に今も「1たす1は2」である。つまり、万古不易の真理が、存在するとしたなら、それは、過去や未来においてだけでなく、それはまさに現に今も! 真理であるはずだ。

 

 

 ところで、自分は今そのような真理を持っているか問うてみる。よくわからない。万古不易、なんだか仰々しくてそれについて語るのはそら恐ろしい気がする。だいたい世の中変わらないものなんてないだろう、とか月並みな市民感情というかなんというか。ニュートンの力学だって、現代では量子力学だかなんだかいろいろでてきているのだから、科学的な真理だって歴史的に反駁されて変わってきているのでしょう、なんて聞きかじった故になまじ疑惑がくすぶっていたりもする。

 

 「真理への勇気、精神の力にたいする信頼こそ哲学的研究の第一の条件であり、人間は自己をうやまい、自己が最高のものに値するという自信を持たなければならない。」(ヘーゲル

 「真理への勇気」! 「精神の力にたいする信頼」! かの大胆不敵なドイツの巨人に言わせれば、僕なんか「哲学的研究」を始めるに際して要求される第一条件をそもクリアしていないらしいとここでわかるわけだ。

 「精神の偉大さと力は、それをどれほど大きく考えても、考えすぎるということはない。宇宙のとざされた本質は、認識の勇気に抵抗しうるほどの力を持ってはいない。それは認識の勇気のまえに自己をひらき、その富と深みを眼前にあらわし、その享受をほしいままにさせざるをえないのである」(同じく)

 

 

 が、とまれ、
 というか、今考えたばかりのことはどうなのか。
 「万古不易の真理が存在するならば、それはその意味する所の本性上(モトのサガの上)、現に今もそれは真理として存在しているはずである」という考え、それ自体は万古不易の真理と言えるものなのか、どうなのか。という方向に考えてみる。


 …。

 

 この考えはこの考えのように以外に考えられない。そしておそらく将来的にもこのようにしか考えられないし、過去にこれ以外の仕方で考えることができた、とも思わない。端的に他の可能性で考えることができるか、と自分に問いかける。

 

 …。

 

出来ない。「Aは、万古不易である、が今は違う」という人がいたら、「じゃあそれは万古不易ではなかったんじゃないか」とか批判をうけて、その言明は誤りだったとわかるのが当然の成り行きである。つまり「Aは、万古不易である、が今は違う」とは考えられない。なんだかしょうもないことを言っている気がするがそうなっている。

 

 だから先の「万古不易の真理が存在するならば、それはその意味する所の本性上、現に今もそれは真理として存在しているはずである」という考えは、こう考える以外に他のありかたを考えられないという意味で、そう考えるのが必ず然るべしである。他のありかたは今だけでなく過去にも未来にも、考えることが不可能である。したがってこれは万古不易の真理である。


 ところで。この「万古不易の真理が存在するならば云々」自体が万古不易の真理なのだから、「存在するならば」と「もし」と仮定的に考えられていた「万古不易の真理」は実際に存在することになる。万古不易の真理なるものの一例として「万古不易の真理が存在するならば云々」がふさわしい、とみなされてしまった以上、万古不易の真理はすくなくともひとつは存在していることになる。

 そうすると、仰々しくて語るのがためらわれる、とさっき言ってしまったそれが現に存在すると、おそれおおくも語ってしまうことになる。あと、万古不易の真理が存在する、も万古不易の真理である、ともなっていくはずである。

 

 

ホントにそうか。
うまく信じられない。「人間は自己をうやまい」か。僕は自分不信である。

なにかこのあたりの事情、数学者か論理学者か哲学者というのかしらないが、すでに考えていたりするんじゃないか。教えてほしい。


自分の考えてきたことの間違いをさがすのはめんどくさいし疲れるし難しいから、これまでも話、だれかボロ見つけて批判してくれると助かるのだけれどとも思う。「あんたの考え方、そもそもこの発想おかしいし、ここの運びは一面的で無理がある」と。いや、いちいち批判的に検討して指摘してやるにも値しない幼稚なことしか考えてないな、と思われて素通りされるか。

 

「他のありかたは今だけでなく過去にも未来にも、考えることが不可能である。」怪しいと思うのはここのあたりと自分では感じている。

 

 

引用:ヘーゲル『小論理学(上)』、p.19、岩波文庫、松村一人・訳。1951年

 

小論理学〈上巻〉 (1951年) (岩波文庫)

小論理学〈上巻〉 (1951年) (岩波文庫)