大雨や地震のニュースを聞いて。

大地は揺れ、天から豪雨降り注げばあたりは川となる。 人は人の世界内部に自然を飼育・管理し得るかのようにふるまう。 たとえば噴水や街路樹や花壇や排水溝を作って。 しかし人の世に大地や空や雨が属するのではない。 むしろ人の世がそれらに属する。庭の…

IOFI原理と鳥飛んで鳥の如し felt senseとfelt meaningの違い。

得丸さと子先生の、『ステップ式質的研究法 TAEの理論と応用』を読んでいます。 「TAE(Thinking At the Edge)は、うまく言葉にできないけれども重要だと感じられる身体感覚を、言語シンボルと相互作用させながら精緻化し、新しい意味と言語表現を生…

フォーカシング-ジェンドリンからの恵み

「いまに全てを空け渡す」「自分を道端の小石のように、そこにおいておく」。 日常の様々な困難さの最中、例えば通勤までの電車の中で、こうした言葉が浮かび上がることがある。わたしはことばの持っている滋養が静かにからだに沁み行くのを確かめ、そのまま…

真夜中のパーティ

『真夜中のパーティ』を読んでいる。フィリパ・ピアスによる短編集。いわゆる「児童文学」であり、ことばも固くは無いので、読むのは大変ではない。しかし一気には、何故か読めない。一編一編、日を置いて読んでいる。 わたしは児童文学が好きで、エンデの『…

問いであるかさえあやふやになる

わたしがいるということ。それは、こうして世界が開けているということ。端的なそうであるということ。そうなっているということ。 わたしはそれを何度も確かめている。 意識の真ん中に、なぜかこの肉体が存在し、そこから世界の体験は開かれている。 つまり…

さよならのオレンジが明けた

3/27 皆が一日の務めを終える頃あい、さよならのオレンジが明けていることに気づいた。 「さよならのオレンジが明けた」。 妙な表現になったが、それは、夕方窓から差し込む陽の光を見て、そこに或る「たしかさ」を感じたという生活雑感の一つに過ぎない。そ…

記憶の春

春の訪れを感じます。 雪国では、長く伸びてきた陽や、雪解けの雫の音が、春の先駆けです。じき、土の匂いが風に交じり、雪下からクロッカスが顔をのぞかせることでしょう。 しかし、これほど雪解けの賑やかな嬉しいこの時節、この明るさがもの悲しいのは、…

夢の川

夢に、或る川を見た。 雪の山間を流れるその川は細く、冷たそうに見えた。 流れる水の響きは、沈黙の気配を耳に伝えていた。 人の言葉ではない言葉を、それは語るかのような。 この流れは、どこから来たのだったか。 「源」。何かが起り、生れる場所。 未知…

宇宙塵を食べる星の子の、不可思議な営為

働くということ。 それは、社会の中に自分の位置づけを持っているということ。何らかの他者の幸せに寄与する(はずの)役割を得ているということ。そうであるから、働くことで報酬が得られ、いわゆる「生活」が成り立つ。生活を構成するためには、貨幣が必要…

久々に池田晶子さんを読んで

無は無なるが故に無い。つまり存在のみ存在する。 無は無いと知ることによって、端的に現に存在が存在しているというそのことを知る。 しかしそれは、存在が存在するという同語反復に過ぎない。 「このようになっているということは、このようになっているよ…

わたしは目指す

わたしは、だれも知らない場所を目指す。わたしは、わたしも知らない場所を目指す。たどり着く保証もないその場所へ歩み得る者は、わたしだけだから。 星の数ほどの同胞がいたとしても、彼らの歩んだ道は、わたしの道ではない。彼らのたどり着いた場所は、わ…

光は影を生み、影は光を受胎する

kyodatsu.hatenablog.com 書くことによって、漠とした何かが形をとり始め、表現へともたらされる。書くという行為によって、漠とした何かは、諸要素が互いに関連付けられ、整理される。書くという過程において生成した言葉は、玉石のように懐にしまい、取り…

「~は…である」を使って考えよう 『TAEによる文章表現ワークブック』

kyodatsu.hatenablog.com 得丸さと子さんの『TAEによる文章表現ワークブック』(ステップ21)をもとに書きました。 A:formの生成 B:滑らかなすべり C:玉石の持ち運び A=B:formの生成は、思考をなめらかな滑りとさせformにそわせるものである …

書くことは玉石の結露。

文章を書くとは、いまだ言葉にならざる何かを、系統だち整った形へと仕立てる作業である。以前は、はっきりせず、つかみどころのなかったとある感覚が、カタチあるものへと精錬・形成され、言葉の表現へともたらされたならば、その過程において理解は滑らか…

得丸さと子先生『TAEによる文章表現ワークブック』と倫理的な言葉。「クリームのひかりをはなつ軟膏」

『TAEによる文章表現ワークブック』

なぜ自殺で楽になるのか(4)

kyodatsu.hatenablog.com kyodatsu.hatenablog.com kyodatsu.hatenablog.com A「いやいや、絶対的な無だろうと部分的な無だろうとなんであれ、少なくとも、借金の取り立てがないことは確かなのだから、いま楽になる。それで別段説明として問題はありません…

内的な沈黙

音声として言葉を外に発さない時でも、こころのなかに、想念を巡らせているなら、内面的には沈黙してはいない。電車に揺られ、見知らぬ他者の間にいて、口を閉ざしていても、悩みや不満に囚われている時、心の中には、様々なイメージや、言葉が去来している…

わたしが無的な包摂である場所にいる

自分が前ノートに書きつけた言葉に救われた。 「無的に包摂するとは、自由ならしめる空間をつくること。 ここでは、包み込むことが、解放することである。 私が無的に包摂するのではない 私が無的な包摂であるのだ 現在に全てを空け渡そう 私を一粒の小石の…

ほんとうにすこやかなわらい

ほんとうにすこやかなわらいとは、なんだろうか。 人が、その弱さゆえに愛すべき存在であると認識することから生れる笑いは、すこやかでないだろうか。 わたしは、人をその弱さゆえに愛し、ほほえむことができるだろうか。 わたしは、ほんとうにすこやかにわ…

言うということ

自分の中にあるものを殺していたことが、いかに膨大であるか今さらながら気づきはじめている。 胸の中で押し殺してきた無数の声。例えば人の集りの場面で、感じていること。それを言うと場違いになるとか、他者と違う意見を表明することの恐れのようなもので…

映え出で、空への招き

充分に平らかな光を照らしあてるからだの現成、透明な晴れなる現像の映え出で。 照らしあてる平らかな光で、からだはある。照らしあてる平らかな光であるような、そのような、「からだ」。平らか。ゆらぎなく、空である。そこにものは満ち、映える空である。…

ロジャーズの『クライアント中心療法』 第2章の要点と思われる箇所を読みながら。

クライアント中心療法 (ロジャーズ主要著作集) 作者: カール・R.ロジャーズ,Carl R. Rogers,保坂亨,末武康弘,諸富祥彦 出版社/メーカー: 岩崎学術出版社 発売日: 2005/06/17 メディア: 単行本 クリック: 4回 この商品を含むブログ (3件) を見る ロジャーズ主…

河合隼雄『明恵 夢を生きる』 こころの撹拌

河合隼雄先生の、『明恵 夢を生きる』を読んでいる。 読むという行為を通して、心が撹拌(かくはん)されていると言ったらよいだろうか。読書体験が作用して、ごよごよと心がうごめいているようだ。一体このこころは、何を生み出し、何をもとめ、結局何処へ…

私は

私は見、私は聞き、私は触れ、私は嗅ぎ、私は味わい、私は思う。 像がそこに見える。例えばディスプレイとそこに映る文字が。音がそこに聞こえる。例えばBarry Harrisのピアノ。感触が感ぜられる。例えばキーボードのプラスチック素材の表面の平らさ。匂いが…

どこにもいないそいつとして生きる

イメージされた自己(自己像)がすなわちわたしなのか。いや、自己イメージを浮かべているわたしこそがわたしだ。でもそいつはどこにもいない。では、どこにもいないそいつとして生きてみられたらどうなる。ふだん多かれ少なかれ、いや大いに、自己像=わた…

私を通して「いのち」は何を実現したいのだろう

「何のために生きるのか?」この問いをどれほど切実に問うたことがあっただろうか。「いったい自分に何の価値があるのか?」このように、自身のみじめさに嘆いたことは幾度でもあることではあるが… 「何のために生きる?」この問いよりもむしろ、次のような…

お母さん

そう言えば今日、よちよち歩きのこどもをつれた、買い物帰りのお母さんを見かけた。人の家の敷地の前で立ち止まったこどもに、「だめ、怒られるよ、はいっちゃだめ」と何度も声をかけていた。怒られることを怖がっているような困った声だった。 そこに入った…

銀歯  歯医者に行った日に

焼却されて脳髄が蒸発しても残るんだろかこの銀歯。 たとえば仮にぼくがあす死んで。

ふじゅふじゅ 創作オノマトペとフォーカシング

じぶんの身体の、のど、胸、お腹のあたりに、注意をむけてみる。視覚的に「見る」、というのでなくて、どんな「感じ」がするか内側から感じてみ(観)る。そうすると、なんかもやもやしていたり、なんかムカムカしていたり、そういったものが、そこにいるの…

思考について垂れ流す思考(6)

kyodatsu.hatenablog.com 「思考は、どうやって生れるのか。答えることはできていない。これは、どうしてじぶんの身体は(或程度思う通り)動かせるのか、という問いと同じでないか。」と前回書いた。 つまり、身体的な活動のある部分は統制可能である。こう…