光は影を生み、影は光を受胎する

kyodatsu.hatenablog.com 書くことによって、漠とした何かが形をとり始め、表現へともたらされる。書くという行為によって、漠とした何かは、諸要素が互いに関連付けられ、整理される。書くという過程において生成した言葉は、玉石のように懐にしまい、取り…

「~は…である」を使って考えよう 『TAEによる文章表現ワークブック』

kyodatsu.hatenablog.com 得丸さと子さんの『TAEによる文章表現ワークブック』(ステップ21)をもとに書きました。 A:formの生成 B:滑らかなすべり C:玉石の持ち運び A=B:formの生成は、思考をなめらかな滑りとさせformにそわせるものである …

書くことは玉石の結露。

文章を書くとは、いまだ言葉にならざる何かを、系統だち整った形へと仕立てる作業である。以前は、はっきりせず、つかみどころのなかったとある感覚が、カタチあるものへと精錬・形成され、言葉の表現へともたらされたならば、その過程において理解は滑らか…

得丸さと子先生『TAEによる文章表現ワークブック』と倫理的な言葉。「クリームのひかりをはなつ軟膏」

『TAEによる文章表現ワークブック』

なぜ自殺で楽になるのか(4)

kyodatsu.hatenablog.com kyodatsu.hatenablog.com kyodatsu.hatenablog.com A「いやいや、絶対的な無だろうと部分的な無だろうとなんであれ、少なくとも、借金の取り立てがないことは確かなのだから、いま楽になる。それで別段説明として問題はありません…

内的な沈黙

音声として言葉を外に発さない時でも、こころのなかに、想念を巡らせているなら、内面的には沈黙してはいない。電車に揺られ、見知らぬ他者の間にいて、口を閉ざしていても、悩みや不満に囚われている時、心の中には、様々なイメージや、言葉が去来している…

わたしが無的な包摂である場所にいる

自分が前ノートに書きつけた言葉に救われた。 「無的に包摂するとは、自由ならしめる空間をつくること。 ここでは、包み込むことが、解放することである。 私が無的に包摂するのではない 私が無的な包摂であるのだ 現在に全てを空け渡そう 私を一粒の小石の…

ほんとうにすこやかなわらい

ほんとうにすこやかなわらいとは、なんだろうか。 人が、その弱さゆえに愛すべき存在であると認識することから生れる笑いは、すこやかでないだろうか。 わたしは、人をその弱さゆえに愛し、ほほえむことができるだろうか。 わたしは、ほんとうにすこやかにわ…

言うということ

自分の中にあるものを殺していたことが、いかに膨大であるか今さらながら気づきはじめている。 胸の中で押し殺してきた無数の声。例えば人の集りの場面で、感じていること。それを言うと場違いになるとか、他者と違う意見を表明することの恐れのようなもので…

映え出で、空への招き

充分に平らかな光を照らしあてるからだの現成、透明な晴れなる現像の映え出で。 照らしあてる平らかな光で、からだはある。照らしあてる平らかな光であるような、そのような、「からだ」。平らか。ゆらぎなく、空である。そこにものは満ち、映える空である。…

ロジャーズの『クライアント中心療法』 第2章の要点と思われる箇所を読みながら。

クライアント中心療法 (ロジャーズ主要著作集) 作者: カール・R.ロジャーズ,Carl R. Rogers,保坂亨,末武康弘,諸富祥彦 出版社/メーカー: 岩崎学術出版社 発売日: 2005/06/17 メディア: 単行本 クリック: 4回 この商品を含むブログ (3件) を見る ロジャーズ主…

河合隼雄『明恵 夢を生きる』 こころの撹拌

河合隼雄先生の、『明恵 夢を生きる』を読んでいる。 読むという行為を通して、心が撹拌(かくはん)されていると言ったらよいだろうか。読書体験が作用して、ごよごよと心がうごめいているようだ。一体このこころは、何を生み出し、何をもとめ、結局何処へ…

私は

私は見、私は聞き、私は触れ、私は嗅ぎ、私は味わい、私は思う。 像がそこに見える。例えばディスプレイとそこに映る文字が。音がそこに聞こえる。例えばBarry Harrisのピアノ。感触が感ぜられる。例えばキーボードのプラスチック素材の表面の平らさ。匂いが…

どこにもいないそいつとして生きる

イメージされた自己(自己像)がすなわちわたしなのか。いや、自己イメージを浮かべているわたしこそがわたしだ。でもそいつはどこにもいない。では、どこにもいないそいつとして生きてみられたらどうなる。ふだん多かれ少なかれ、いや大いに、自己像=わた…

私を通して「いのち」は何を実現したいのだろう

「何のために生きるのか?」この問いをどれほど切実に問うたことがあっただろうか。「いったい自分に何の価値があるのか?」このように、自身のみじめさに嘆いたことは幾度でもあることではあるが… 「何のために生きる?」この問いよりもむしろ、次のような…

お母さん

そう言えば今日、よちよち歩きのこどもをつれた、買い物帰りのお母さんを見かけた。人の家の敷地の前で立ち止まったこどもに、「だめ、怒られるよ、はいっちゃだめ」と何度も声をかけていた。怒られることを怖がっているような困った声だった。 そこに入った…

銀歯  歯医者に行った日に

焼却されて脳髄が蒸発しても残るんだろかこの銀歯。 たとえば仮にぼくがあす死んで。

ふじゅふじゅ 創作オノマトペとフォーカシング

じぶんの身体の、のど、胸、お腹のあたりに、注意をむけてみる。視覚的に「見る」、というのでなくて、どんな「感じ」がするか内側から感じてみ(観)る。そうすると、なんかもやもやしていたり、なんかムカムカしていたり、そういったものが、そこにいるの…

思考について垂れ流す思考(5)

kyodatsu.hatenablog.com 「思考は、どうやって生れるのか。答えることはできていない。これは、どうしてじぶんの身体は(或程度思う通り)動かせるのか、という問いと同じでないか。」と前回書いた。 つまり、身体的な活動のある部分は統制可能である。こう…

思考について垂れ流す思考(5)

kyodatsu.hatenablog.com 思考空間あるいは内言空間とでも言うべき所に言葉が生れている。こころの中で、つぶやきが生れている。このつぶやきは、いったい、どうして生れるのだろう。 どこから、思考はやってくるのか。あぁ、不思議だ。箱の中から玉が取り出…

尋常でない本。井筒俊彦『意識と本質』

意識と本質―精神的東洋を索めて (岩波文庫) 作者: 井筒俊彦 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 1991/08/08 メディア: 文庫 購入: 9人 クリック: 101回 この商品を含むブログ (73件) を見る 「三年前の夏、スイスのエラノス学会の食卓で、D・ラウフ教授が、…

思考について垂れ流す思考(4)

kyodatsu.hatenablog.com 考えるとはどういうことか、という当初の問いについては、或程度は明らかにすることができたろうか。 これまでの成果は、「当初未だ言いあらわされず、その意味が十分に明示的には表現されてはいない何かについて、言語的に展開し叙…

思考について垂れ流す思考(3)

kyodatsu.hatenablog.com 前回の続き。"「思考」が「起る」というのは、どういうことなのか。また、問いが生れた。何でこんな問いが生れたのか。この問いが生れた、ということが、まさに「思考が起る」というそのことなのだから、それについて叙述して行けば…

「思考について垂れ流す思考」はいったい誰が読むのか

kyodatsu.hatenablog.com kyodatsu.hatenablog.com 二本書いた、「思考について垂れ流す思考」について。 じぶんでは、書いていて面白いのだが、これはいったい誰が読むのだろう。 自分自身、書いている最中は面白いのだが、書き終わったら、読み返すことな…

思考について垂れ流す思考(2)

kyodatsu.hatenablog.com 前回、言うとか叙述すると言う時の意味の一部を言いあらわしてきたが、では、「思考」とは。 「思考とは。」これが、問いの始まりでもあった。そして、「思考とはどういうことか」と問うているということ、まさに今していることが、…

灰色のぬれた朝

けさは不眠。眠たくないが透明でない、鈍いあたまが車走らす。 いききするみな、みなかおの顔、仮面のようなかお見てる。 「どれかひとつくらいかおでない、顔の車があってもよさそな。」透明でない鈍い頭の、のろくさい眼が注意深からん、こころみにみる見…

思考について垂れ流す思考(1)

いま、思考している。思考するとはどういうことだろう。と。と問うているという、まさしく今起こっていることを、ふつう思考と言うのだから、まさしく今起こっていることを、叙述すればその答えになるのだろうと思われる。 思考するとはどういうことか。「ど…

宗教的な欲求

何かこう、統一的な世界像のようものが欲しい、と常々感じている。 おそらくこれはある意味で「宗教的」な欲求なのだろう。ここでいっている「宗教的な欲求」というのは、次の様な意味。 「アウグスティヌスがしているreligio、つまり「宗教」の語源の説明に…

「もの」の訴え

何か、ものをつくりたいという欲求が存在する。形になるものを、己を透過して、ならしめたい。形なきものを、私を透過させ、形あるものたらしめたい。そうした欲求が存在する。形にならしめたい主題的な何か、が予めあるのでなく、ただそうした欲求が存在す…

死はかなしい

死は、大事な人との別れ、なので、かなしい。 死とかなしさは、ぼくの中で明白に結び付いているけれど、 死と「怖い」の結びつきは、あまりはっきりしない。 たとえば、津波は、怖い。これははっきりしている。 でもそれは、津波で死ぬ「から」怖いのではな…